デジタル・バロック時代の到来

多くの方よりご質問をいただきましたので回答させていただきますが、みなさまのおっしゃる通り、ものを書くのをやめたわけではございません。書籍の方も、未だ作業中です。また、ブログも続けておりますが、こちらは書籍としては出版しないことにいたしました。何かを書く度に森林破壊に加担しているような気分になるのは、私の執筆生活における精神衛生上、望ましくないと考えるようになったためです。さらに最近は「投稿」ボタンを押そうとするたびに、こんな声が聞こえるようになりました。「うぬぼれ屋さん、多分、インターネットとは自分のことだと思ってるんでしょう〜」そうなると、何千ページビューかを稼ぐより、タバコでも吸いに行こうか、といった気分になるわけです。でも、私は悪くない。どちらにせよ、ブログ時代はもう終ったではないでしょうか。

ブログに関しては、その通りです。しかし、本日申し上げたかったのはこのことではありません。モノを書くと言うことは、誰にとっても、たとえ書いた人間が素敵でも、切れ者でも、バカでも、老若男女、紳士淑女を問わず、誰にとっても決して社会的な行為などではないと言うことです。むしろ、大変に無恥で痛ましい、自己愛的なインチキ行為です。特に、モノを書くことで生計を立てているならなおさらです。真の賢者は、例えばソクラテスなどは、なにも書き残しませんでした。そして、私や、みなさん、そしてScobleizerらオンライン・パブリッシャーと呼ばれる人間は、まさに究極にナルシストの多弁家です。例えば、探偵に依頼して自分自身を見張ってもらったりする人々や、ラッパーと同じくらいに。(ところで、ラップブログと同じくらい過去の遺物です)

モノを書くために書いている、とか、トラフィックは関係ない、とか、正義のために、とか、世界を救うために書いているとかのロジックは自己欺瞞に過ぎません。モノを書くと言うことは虚栄なのです。そして、もしも自分の書いたものを発表しない人がいたとすれば、それは賢さではなく、その人の書いたものが、自分を欺けるほどに優れたものではなかったと言うことです。

「書くことへの不安感」というものを解消する手段として普及してきたFacebook, Twitter, Friendfeedなどは私たちの書き込むどんなに空虚で大げさな言葉も、何倍にも反響させて見せてくれます。そして私たちは、意味のない、飾りのような言葉をTwitter, Facebook, そしてFriendfeedに繰り返し送り出し続けています。デジタル・バロック時代の到来です。

Twitterでは脈絡のないジョークでも上げ続ければ、簡単に100人からのfollowerを集めることが出来ます。そして彼らはあなたのすべてを文字通り「Follow」していくのです。どんなにあなたが退屈でも。アナタがコーヒーを飲んだり、飛行機に乗ったり、雲が丸かったことを指摘してみたり、飛行機から降りたり、再び普通にコーヒーを飲んだりすることを。退屈で平凡なつぶやきを140ほど送り出せば簡単に自己の虚栄心を満足させることが出来るような時代に、どうしてまだ、悩んで、作り込んで、時に意見を人と戦わせながらモノを書く必要があるでしょう。

すでに何ヶ月も前に、ブログはもう衰退期に入っているという記事を見かけました。アメリカの有名なジャーナリストの言葉だったと思います。彼は、以前は人々のブログを好んで読んでいましたが、面白いブログを書くブロガーたちも、もはやすでに話す言葉が尽きてきて、同じことを繰り返し言い始めたのが見ていられなくなったからだそうです。たかが、ジャーナリストひとりの意見。私はそう言いながら自分のメーリングリスト登録者をチェックし、彼が登録を解除しているのを確認しました。たかが、ジャーナリスト?

Omnia vanitas — All is vanity

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