ユーザーフレンドリー(user friendly)でないサイトは、オーナーのマナーのなさを暴露するものです。専門家の方々は、このユーザーフレンドリーという単語を乱用しすぎて、元来「フレンドリー」という言葉が道徳用語だということを忘れてしまったのではないでしょうか。

もちろん、お客様を「ユーザー」と呼んでいるだけでは、ユーザーフレンドリーの重要な部分を理解することはできません。しかし実際の人間関係の中で自分が周囲にとって親しみやすく、フレンドリーであるかどうかを顧みるのと同じように、ウェブサイトのユーザーフレンドリーさを確認することはとても大切です。ウェブサイトはコミュニケーションです。そして、コミュニケーションがうまくなければ、失礼な人間と見られるというリスクを背負うことになるのです。

クリックを増やし、より多くのオカネをもたらし、成功をもたらす、という意味でフレンドリーであることが良いとする人も多くいます。道徳的に見るとこれは、「もっと金持ちになれるように良いマナーを身につけなさい」というのと同じ論理です。ことの真偽は別としても、良いマナーを身につけることには、お金以上の理由が存在します。良いマナーは良いリアクション(フィードバック)をもたらし、良いリアクションは次の新しいアクションのインスピレーションとなるのです。インスピレーションは、アクションの結果としてもたらされるものです。ちょうど、人が尊敬を得るのと同じ原理です。そしてこの仕組みは、現実世界でのコミュニケーションにおいても、ウェブサイトのインターフェイスにおいても、同じように働きます。

インターフェイスが優れていれば、良いリアクションが得られます。そして人々から良いリアクションが得られれば、彼らはそれを人と共有するために、広めてくれるのです。そして、これがウェブサイトの存在意義です。人々に、情報を共有させること。

コミュニケーションスキル

オンラインでもオフラインでも、コミュニケーションにおける基本的なルールは同じ、という結論に、私たちはすでにたどり着いていたのではなかったでしょうか。

インターネットという環境はまだ生まれてから年浅く、そしてソーシャルスタンダードも、まだ形成途中です。しかし、単純なプログラムの調べものの途中ですら目に入ってくる、数えきらないほどの罵りの長広舌、低能な言い争いや脅迫めいた書き込み、扇動的な発言等を見ながら私が考えるのは、オンラインでも、オフラインでも、同じコミュニケーションのルールが適用されるべきだということです。何かを書いたり、何かを人に尋ねる前に、それを実際に相手の目の前でも言えるかどうか、自分に問いかけてみてください。

スタイルは魅力、ヒステリーは興醒め

女性たちに確かめてみてください。マナーは大切です。もちろん、マナーだけがあれば良いというものでもありません。楽しさも必要です。例えば、ロックスターを見てください。有名なのに、でもマナーがあって折り目正しい。そこがキモなのです。ロックスターがかっこいいのは「ホテルの部屋をダメにした」とか、「恋人をぶちのめして素敵だった」と言われるときではありません。真にかっこいいロックスターは、「ステージではほんとうにめちゃくちゃだけど、実際に話してみたらすごくリラックスしていて、知的だった」といわれるものです。きちんとコミュニケーションがとれるということは、魅力的なのです。憎しみや、虚栄心は嫌悪されます。

ロックスターを夢見る多くの人が理解していないのは、ただ強引で、押しが強いだけでは、良いコミュニケーションは成立しないということです。(それが、マーケティング上の演出の場合を除いて。)もしあなたのゴールが人々を良い気分にさせることだったら、きちんとしたコミュニケーションをとろうとしてください。お察しの通り、私はジョン・レノンがメディアに影響を与えていた世代に育ちました。

カート・コバーンは正しい人だったし(日記を読んでみてください)、マリリンマンソンはインタビューの中で、鋭い受け答えを見せています。(英語記事、近日翻訳公開)トム・ヨークはいつも穏やかで聡明でした、怒っているときでさえ。体制を批判する時も、彼らは文化という形で攻撃しました。良いマナーの基本さえ守っていれば、頭の悪そうな侮辱や中傷、無差別的な暴力発言などを避けさえすれば、そして、ひとこと言う前にちょっと考えさえすれば、ウェブはあなた自身を美しく表現出来る場所なのです。ワイルドで、でも心は正しく。これが私の考える魅力(セクシーさ)の定義です。

ティーンエイジャー

この件について、なんと1996年にすでにノーマン・H・ホランドは素晴らしい記事を書いていました。そこで彼はオンラインになると人々はいかに簡単に退歩してしまうかについて指摘しています。人々は子供のようにアグレッシブになるか、子供のように盲目的に何かを支持するようになるというのです。現実世界で、誰かの面前で 大胆に、そして最高に失礼にも放送禁止用語を使いながら「go and f*** yourself」という人にはそんなにお目にかかりません。もし、実際にそんな発言をしている人がいたら、その人は多分自分を見失っているのか、それとも本当にバカなのかのどちらかです。しかし、オンラインではそういったことが頻繁に起こるのです。退歩中の人間たちに言いたい。次にまた人間として後退していく前に、自分の胸に聞いてください。今から発言しようとしているその内容、本当に本人の目の前で声に出して言えますか。

自惚れ屋

上述の二件の対照的なリアクションパターンに加えてもう一つ、退歩例として加えたいのが、擬似批判家です。時に、自分の考えつかなかった意見は全て間違いだ、とする人がいて、彼らは他の人の書いた記事から、適当な部分を適当に抜き出して、文脈から切り離し、コケにします。長くてつまらないコメントを加え、著者を巻き込んで、どちらが賢いか、という終りなきくだらない議論を展開させることを期待しながら。

センセイ

センセイたちは、自分には他人より権威があると思い込み、そのためにひとの言うことに対して、何でもかんでもアタマからダメだと言ってもいいと考えています。彼らの多くは「これは嘘だ」「同意しかねる」「お前は馬鹿だ」「まずは英語を勉強してこい」というみちを辿ります。

結論

インタラクティブというのは、「相互に影響し合う、またそうする能力がある」という意味です。そしてインタラクティブ性がもたらす利益というのは、その他の社会システム上の善がもたらす利益と同じです。人々のアタマが束になったら、それは一人で考えるよりも遥かに力を持ちます。互いの小さな間違いや盲点を補い合うことができるからです。そして、小さな間違いがモノをいうのです。私たちは、小さなディテールに一喜一憂するものですから。

電脳紳士の信条

  1. 良いマナーというのは、上流社会の特権ではない。
  2. 誰もがフレンドリーになる/にされる権利をもっている。
  3. かつての良いマナーというのは、秩序、従順、そして善悪の概念という軍隊モデルを拠り所として成立していた。
  4. 新しいマナーとは、洗練された意識、常識、肯定、レスポンス、ユーモア、そして協力に基づいて成立する。
  5. 新しいルールは、時間をかけながら、でも確実に古いルールに取り代わっている。(英語版。近日翻訳公開)

では、良い日を

オリバー 拝