私たちには、身の回りの物事がどれほど壊れているかに腹を立てる理由がいくらでもある。だから、バグだらけのアプリにも、機能していない職場にも、通りの向こうに建ったあの醜い新しい建物にも腹を立てる。だが、それを本当に変えて、少しでも良くしようとするほど狂っている人はほんのひと握りしかいない。なぜだろう。
たいてい私たちは、物事を良くするだけの時間も、お金も、技術も、権限もないと言って自分をなだめる。「それは自分の仕事じゃない」と。そうして現状を受け入れ、何もしない。まだ存在しないものを思い描くには勇気がいる。失敗の危険を引き受けるにも勇気がいる。機械に逆らおうとして嘲笑されるかもしれないのに、それでも続けるには勇気がいる。そして、自分は本当にただ狂っているだけなのかもしれないと分かっていながら、それでも進み続けるには、途方もない勇気がいる。
間違う勇気、誤解される勇気、笑われる勇気がいる。自分の頭で考える意志、間違っても構わないという覚悟、完全な愚か者に見えることを引き受ける度胸がいる。一度だけでも、いつかでもなく、来る日も来る日も、一日中、何度でも、うまくいかないことをうまくいくまで繰り返す。最後には、単に誤解されるだけでなく、本当に間違っている、滑稽だ、狂っていると見なされるかもしれないと分かっていても、それでも続ける。
物事をほんの少しでも良くし、美しさの火花をつかまえるためには、ふつうの人が狂気だとみなすものを受け入れ、楽しみ、丁寧に育てていかなければならない。本当に狂っているのは、試してみるまで、そして成功するか失敗するまで何度も試してみるまでは、誰が正しくて誰が間違っているのか分からないということだ。1
狂気と想像力2 は、今年デュッセルドルフで開催される Beyond Tellerrand での、iA の Oliver Reichenstein によるオープニングトークだ。イベントはいつも最高で、いつも売り切れる。だから、売り切れる前に チケットを手に入れてほしい。
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この発想は、「形」という概念について書いている、いずれ公開予定の長いブログ記事から生まれた。その途中で、デザインの実践とは、世間から見れば明らかに狂気じみたこと、つまりほとんど同じことを少しずつ変えながら何度も繰り返し、何度も失敗し、それでもいつかはうまくいくと無邪気に信じ続けることを私たちに求める、という脇道にそれていった。 ↩︎
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タイトルとカバー画像は、ミシェル・フーコーの “Madness and Civilization” に由来している。フランスの哲学者フーコーは、近代社会が秩序を維持するのは、人を観察し、分類し、標準化することだけではなく、自らが非合理的、あるいは狂気と呼ぶものを排除することによってでもあると論じた。監視、指標、注意の採掘によって形づくられた世界では、想像力は疑わしいものと見なされる。なぜなら、それは正常性、統計、効率、予測可能性、統制そのものに疑問を突きつけるからだ。 ↩︎