もうブログは終わったんでしょう? たぶん、そのとおりです。
親切だろうが、賢かろうが、賢明だろうが、馬鹿だろうが、男だろうが、女だろうが、坊やだろうが、娘だろうが、男だろうが、女だろうが、ご婦人だろうが、紳士だろうが、文章を書くことは社会的な行為ではありません。恥ずかしいほど痛々しいナルシシズムの猿芝居です。とくに それで生計を立てているならなおさらです。ソクラテスは一行も書きませんでした。私やあなたや Scobleizer のようなオンライン出版社は、想像しうる限りもっともナルシシズムに満ちたスムージーです。まるで自分自身を監視する探偵を雇う人や、ラッパーたちのように。(ちなみに、ラップも死んでいる し、ブログも死んでいる のです。)
書くのはあくまで書くためだとか、トラフィックは大事じゃないとか、自分がいい人だからやっているとか、自分の文章が世界を救うとか、そういう主張は、みじめな自己裏切りのテクニックにすぎません。文章を書くことがいちばん虚栄に満ちています。そして、公開しないからといって賢いわけではありません。単に、自分で自分をだませるほど文章が良くないというだけです。
「公開への不安」を和らげるために、Facebook、Twitter、Friendfeed などがあり、私たちの大げさな無価値を喜んで指数関数的に増幅してくれます。Twitter、Facebook、Friendfeed 上で同じ意味のない言葉の飾りを繰り返し、再ツイートし、私たちはデジタル・バロックの時代に入りました。
Twitter にちょっとした冗談を載せるだけで、簡単に100人のフォロワーを集められます。彼らは、あなたが何をしても 追いかけて くるのです。どんなにありふれていても。コーヒーを飲む様子。飛行機に乗る様子。空に浮かぶ丸い雲を報告する様子。飛行機を降りて、また退屈なコーヒーを飲む様子……。議論を練り、守り、展開するために考え、書き、苦労するより、140文字の飾りだらけの退屈を打ち出して自分の虚栄心を満たせるなら、それで十分ではありませんか?
何か月も前に、ブログは死にかけていると読みました。ある大物アメリカ人ジャーナリストがそう言っていたのです。彼は昔はブログが好きだったが、優れたブロガーたちは言うべきことを言い尽くしたので、同じことを繰り返す人の話はもう聞きたくない、と書いていました。私は思いました。ただのジャーナリストだ、と。メーリングリストの購読者を見たら、その人は購読解除していました。ただのジャーナリスト?
