人工知能は、どこまで情報アーキテクチャを形づくるべきなのでしょうか? 技術的には、AIが人間よりもIAで明らかに良い結果を出せるとしたらどうでしょう? それだけで、人間の情報アーキテクトを手放す十分な理由になるのでしょうか?1
理論上は、情報アーキテクチャをすでにコンピュータに任せることができます。放置するわけではありませんが、かなりの作業を肩代わりしてもらうことはできるでしょう。似たようなことは、もうかなりうまくやっています。
問題は、私たちにそれができるかではなく、すべきかどうか、そして私たちがそうした場合に何が起きるのかです。2 もし情報の構造化をコンピュータに任せるなら、もしコンピュータが私たちの言語を整理するなら、それはデザインのまさに中核である「考えること」を置き換えてしまうことになります。
「AIにおいて重要なのは結果であって、主体やその振る舞いが知的かどうかではない。したがって、AIとは生物学的知能をどんな形であれ再現することではない。それなしに済ませることなのだ。」 –ルチアーノ・フロリディ3
人工知能は、これまで思考を必要としていたことを私たちに可能にします。AIがあれば、考えずに手紙を書き、読まない相手に送り、返事まで受け取ることができます。すべて、考えずに。
一方で、情報アーキテクチャは私たちに考えることを促します。デザイン分野として、言語を整え、構造化するのです。(考えることとは、言語を形づくることでもあります。視覚的に、言葉として、聴覚的に……)しかも、それは自分のためだけでなく、他者のために考えること、他者の視点から考えること、つまり人間が人間のために考えることを促します。
IA: 人のための 人からの
人間中心設計における中心的な問いは、他者はこれをどう知覚し、どう感じ、どう理解するのか、です。この人間対人間の対話こそが、人間中心設計にとって不可欠です。
対話には、私たちが考える相手と実際に話すことが必要です。設計プロセスのあいだに対象ユーザーとのやり取りを省いてしまったら、あとでそのインターフェースがどうやって効果的に対話を促し、簡単にしてくれるのでしょうか? インタラクションデザインは、プロセスの中で人間対人間のやり取りを必要とします。
人工知能はどう役立てるのか?
人工知能を使って、よりよく、より深く、より明確に考え、自分たちが考え書いたことが最善の形になっているか、あるいは見落とした誤りや重要な点がないかを確認できるなら、人工知能はより良い情報アーキテクチャの実現にも役立ちます。
今日のコンピュータは複雑なシステムを計算でき、統計的に起こりうる誤りを見つけ出し、シミュレーションを通じて私たちがより明晰に考えるのを助けてくれます。この点で、人工知能はまさに大きな恵みです。知的な対話相手をシミュレートできるのです。そしてこれは、とりわけ在宅勤務では、非常に価値があります。
限界
コンピュータは人間の視点からは考えません。コミュニケーションや思考をシミュレートすることはできますが、その成果は人間を模倣して生み出しているわけではありません。デザインでも同等の結果にたどり着くことはできますが、私たちの行動を真似ているわけではなく、デザインを楽しんでもいません。
「AIは、ある作業を成功裏に遂行する能力を、そのための知性の必要性から切り離すことで目標を達成する。私の携帯電話のゲームアプリは、私より上手にチェスを指すのに知性を必要としない。この切り離しが可能なとき、原理的には何らかのAI解決策が成立する。」4
人間のために、人間とともにデザインする過程で、自分たちが楽しみ、他者とのコミュニケーションを楽しむことは、出世欲まみれの人たちが好む指標やA/Bテストのデータもどきと同じくらい、いやそれ以上に重要です。なぜなら、作る過程が苦痛だったら、製品が喜びに満ちるはずがないからです。人間は、何かを生み出す過程で自分自身を楽しめてこそ、その成果を喜びに満ちたものにできます。
人工知能は、私たちの代わりに考えることはできません。スポーツを私たちの代わりにできないのと同じです。しかし、それは私たちに考えることをますますおろそかにさせ、忘れさせ、やめさせる方向に働きます。
「……成功したAIとは、人間の知能を生み出すことではなく、それを置き換えることだ。」 –ルチアーノ・フロリディ5
考えることは難しく、遅く、痛みを伴います。チェスのように。しかもチェスと同じで、思考が上達するには練習が必要です。でも私たちは、難しくて遅いことを避けがちです。
うまく動くなら、なぜ心配するのか? 欠陥のある機械のせいにできるなら、なぜ責任を引き受けるのか? その通りです。でも、仕事や痛みや責任を避けるために考えることをやめれば、いつか誰か、あるいは何かが私たちの代わりに考え、私たちの代わりに決断するようになります。
まとめ
人工知能は、私たちがより考えるために使うなら、私たちをより良くしてくれます。自分たちのために考えることをAIに置き換えさせてしまえば、自由な存在として生きるための最も強力な能力、つまり自分で考える力を失う危険があります。
機械学習と自動化が広がるなかで、人間が主導権を握る人間中心設計は、技術が私たちに奉仕するようにするためのものです。人間中心設計は、人間に焦点を当て、人間によって作られるべきです。人間中心設計とは、人間のために、人間によって行われるデザインです。
情報アーキテクチャは、私たちに人間として、他の人間のために、その人の視点から考えさせます。ビジネス、テクノロジー、デザインにおける自動化の高まるリスクに対する解毒剤として機能するのです。
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これは、2023年9月にドイツ UX プロフェッショナル協会向けに行った「情報アーキテクチャの進化」に関する講演の最終パートです。 ↩︎
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「AIと書くことの終わり」では、私たちの立場をすでに明確にしています。 「自分で考えること、言ったことを本当にそう意味しているのかを自問すること、感じたことを理解することをやめてしまえば、あなたは機械になる。機械は私たちをほぼあらゆる面で模倣し始める。そうして、私たちがしばしばそうであるように、技術を生み出すたびに、ある時点で私たちのほうが機械に順応し始めるのは、それほどあり得ないことではない。」 ↩︎
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この引用は、ルチアーノ・フロリディの『The Ethics of Artificial Intelligence』からです。フロリディはデジタル倫理を専門とするイタリアの哲学者です。近著では、AI倫理の枠組みを示しています。技術が進化するたびに陳腐化する危険のある「AIとは何か」を技術として定義するのではなく、私たちの行動に対する効果によってAIを特徴づけています。彼は、かつては人間の知能を必要とした行動を、今では必要としないものとしてAIを位置づけています。この見方は、人間中心設計において、思考を置き換える技術をどう扱うかという問題を考えるための有用な土台になります。 ↩︎
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ルチアーノ・フロリディ『The Ethics of Artificial Intelligence』 ↩︎
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同書 ↩︎